最近の読書事情

結局去年の十冊が書けなかったなあ。
ま、いいや。
まず読了から、おもしろかった本を。
グーグル八分とは何か
一冊目は、とりあえず日曜日のNスペ*1見る前に買って読んでおくべき。
権力に無自覚な権力ほど質の悪いものはないわけで、
またその権力性を無視しつつ称揚する輩も相当悪質なわけで。Web2.0が殺すもの (Yosensha Paperbacks)あたりもおヌヌメしよう。
まあしかしこれで終わっては芸がないので指摘すると、ググルは訴訟リスクを異常に恐れる行動をとる。ようつべの買収にしても、磯崎哲也の指摘<参照:GoogleのYouTube買収と有限責任性 | isologueGoogleYouTube買収と有限責任性」>なんかにあるように、念の入れ方が半端ではない。
少なくとも、いまだきちんとした判例が確立してない状況では、リスクの芽をつぶすのは理にかなっている。
しかしそもそもねじれを感じるのは、一民間企業が「民主主義の救世主」であるかのように話す人々がまずいて、
「民主主義の救世主たるググルタソが反民主主義的なフィルタリングすることへの失望という」議論が成り立つことの是非だ。
あんたら、一私企業に何を期待するの?という気持ちからまず始めないと、いつまでたってもweb2.0というマジックワードを口にする幸福感を相対化できないじゃないか。
小泉官邸秘録二冊目。あぺ内閣がなぜぐだぐだなのか。それがここに書いてある。要は、仏作って魂入れず。仕組みは似てても機能しない。
飯島秘書官と言えば思い出すことがある。フジテレビの番組で飯島氏が出ていて、閣僚候補には必ず「身体検査」を施すのだそうだ。
ここでいう身体とはスキャンダルの有無のこと。たしかにかの内閣ではスキャンダルで辞任した人はいなかった。閣僚のスキャンダルはボディーブローのように効きますから、
あらかじめ求心力低下の要因となりそうな人を排除しておく、というのは説得力があった。
累犯障害者。衝撃的な話ではあるのだが、こんなところまで福祉が行き届くような国は逆にあれだなあ。
諜報機関に騙されるな! (ちくま新書)あらかじめ言っておくと、佐藤優も手嶋龍一も尊敬している。ただインテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)はいただけない。
インテリジェンスをもったいぶってもいいことはひとつもない。そこに登場した本書は「等身大の諜報」を描いていて、参考になる。
前半はイラク戦争に関する報告書の分析に紙面が割かれている。アル中のインテリジェンスがイラク戦争の引き金になったというのはあまりにあほらしくて笑いながら泣けてくる。
インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書]。最近、法づいている。中では読みやすかった。著者近影がわらいどころ。

*1:グーグル特集である

てのばしなん198円

下北サンデーズ“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件オートフィクションプラトンの呪縛 (講談社学術文庫)村上春樹 イエローページ〈1〉 (幻冬舎文庫)メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)日本共産党 (新潮新書)
石田衣良ってのはなんなんだ。なんとなーく底の浅い青春群像ばかりを書いているような気がするが、なかなかどうして気が利いている。
というか都市の定点観測がうまいからこそ、映像としてもいけるんであろう。下北サンデーズも例に漏れず、そういう感じが充分に出ててすらりと読めて楽しかった。
ただなあ、もう買わないと思うなあ。たまたま題材に惹かれて買ったけど、高い金だして読むようなもんでもない。
次、おいおい「狐」の実名が出てるよと思い購入。最近別の狐本を買おうと思っていた矢先なので、渡りに船。
これは本当に本を愛する人のブックマニュアルである。最近読んだ新書の中で抜群におもしろかった。まさに新書たる新書だわ。
この本を読んで、私は「読書」について考えた。食事が有限回であれば読書も有限冊である。
これは最近、またギリシャ古典から政治学の書をさかのぼって読み返そうと思った事と無関係ではない、と思う。
ロサンゼルスBBは普通におもしろかったがLの影が薄すぎてワロタ。BをLとして読めという事なのかな。
しかし、なんかどこまで書けばネタバレで、どこまでがセーフなのかわからんじゃないか!これだけでもアウトか?
なだれ込むようにオートフィクションへ。
これは書評というよりもはやイメージだが、自分を描く作品が、今までの作品のうち一番「自分」と「作品」の距離を感じさせるものに仕上がるとは不思議な事だと思った。
だからこの作品はあまり評価できないし、作者は「私小説」作家からはほど遠いということ。
今までの作品では、なんとなく匂い立つ「私」というのが肥大誇大妄想的な「私」で、その「アタマの中小説」というのがおもしろかったのだが、
だからこそここで等身大に近い「私」のようなものを見せつけられてしまうと、何となくフーンというか、やっぱりそれだと明治の人には勝てないじゃないですか。と思ってしまう。
で、プラトン積ん読処理。で、次の日記を書く段には、遡行の結果岩波文庫やらがずらりと。となるはずだが。
村上春樹イエッペ(これって北海道人特有の表現か?)は電車用で特に感想無し。しかし、「世界の終わりと・・・」は読んでいたつもりなのだが、イエッペよんでも全く記憶に合致しない。
次のも電車用。その次のは、これ、おもしろいか?