我々は戦場を欲している。それは間違いないこと。

搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)
この本を読み終わって、「あ。これは戦場の話なんだ」と思ったわけですよ。
戦場の美意識、その倒錯ぶりと、ここでいう歩合ライダーの美意識がすごく調和してる。
例を引くのはちょっと手元に本がないんで出来ないんだけど、引退した歩合ライダーがそのまま発送の割り振りを決める、とかね。
どんどんバイクから余計な物をそぎ落としていくことがかっこよさに繋がるとかね。
すごく軍隊、しかも傭兵団に似ている。
バイク便ライダーの世界は、傭兵のやる白兵戦だ。
で、この本と更に、ほぼ同時期に読んだ論座赤木智弘氏の
「『丸山眞男』をひっぱたきたい」、続「『丸山眞男』をひっぱたきたい」とが自分の中ですごく繋がっている。
バイク便ライダーの仮想敵って。オフィスでぬくぬくしている正社員だったり、タクシー乗ってる人だったりするわけです。身近なの。
それと赤木氏の言う(これも手元に現物がないのでニュアンスだが)「革命ではなく、戦争」「打倒したいのは強大な権力ではなくちょっと上にいる人」
というちょっと上のものへの敵意、ってこれらは実際どこから出てくるのか分からないんだけど、これが近しいものがある。
そりゃそうだ。戦場をイメージしたものと、「戦争」だもの。
ただ、戦場を欲することと、戦争を欲することは違う。
ここで思うのは、赤木氏の考えていることは「戦争」よりも「戦場」のイメージじゃないかってことだ。
論座に掲載された多くの赤木氏への反論が的を外しまくっていることは、この差に由来するのかな、とも思う。
戦争は悲惨だ。間違いない。ただ、戦場は?
全く私的イメージだけで言うけれども、戦場には、戦争にはない、どこか爽快感のようなものがある。
爽快感とは、あまりだらだら説明したくないが、確率への還元だといって差し支えないと思う。
戦場の倒錯した美意識も確率への還元。「何故あの弾は隣の兵士に当たって私には当たらなかったのか」その逆もしかり。
金を持っているからとりあえず食う物は大丈夫みたいな前提条件が消え去って行って、
研ぎ澄まされたサバイバルな意識だけが、戦場で人を自由にする。自由は死ぬ自由も含む。(つまり、freedom from ではなくfreedom to)
少なくともその自由は、今の「日本社会」には絶対にない爽快感。
だからこそ、いま戦場が求められている。私はそんな風に考える。