はてダを始めて4年が経過していた。

この4年で何が変わったというのか。
東浩紀が小説を書くようになったくらいじゃないのか。

まあそれはさておき。
休暇を取って温泉に行ってきたんです。
もうすごい。
ケータイの電波がない。
最寄りのコンビニまで6kmくらいある。車じゃなく電車で行ったからもちろん行けるわけがない。
窓を開けると酪農の匂いがする。
温泉は油臭い。*1
物価が高い。
隔絶とはこのことを言うのだろう。
しかし。テレビは比較的きれいに映った。それだけが残念だった。
もしこれでテレビが映らなければこれはもう陸の孤島
望ましい姿だったろう。

そこに一冊だけ本を持って行った。
兵士に聞け (小学館文庫 (す7-1))だ。杉山隆男を知ったのは
メディアの興亡 上 (文春文庫)であり、その着眼点に魅かれた。
兵士シリーズは、最近杉山が
「兵士」になれなかった三島由紀夫という本を出しており、多分その関連で改めて文庫化されたものであろうと推測される。

800ページもある大著だからこそ、隔絶された土地でこそやっと読めるものだと思って持って行ったのだった。
思った通りだった。
そして私は、なぜみんなこの本を読まないのか。
と大声で、電波がなく酪農の匂いがする油臭い温泉近くのウイークリーマンション型の宿の一部屋で叫びたくなった。
自衛隊は根本的なことがなお何一つ解決されないまま、現在に至っている。
それが率直な感想だった。

「医療支援チーム」を率いるにあたって、前田一尉らは、上官の許しを得て、兵士たちと同じく
64式自動小銃を持たせてもらうことにした。チームが出動するとき、それは十中八九、
戦闘に巻き込まれることを意味していた。
(中略)
しかし、自分自身のことを守らなければならないのは何も敵と撃ち合っている時だけとは限らない。
成り行きしだいでは、前田一尉らは日本に帰国したあとでたったひとり法律を向こうに回して戦う羽目に陥るかもしれなかった。
(中略)
「医療支援チーム」はPKO法を犯してしまう可能性をもっとも多くはらんでいた。
PKO法を字句通り解釈すれば自衛隊員はたとえ民間人を助ける目的であっても発砲してはならないことになっている。
しかし、「医療支援チーム」の任務は、なにより敵の攻撃を受けて立ち往生した
「情報収集班」の退院や投票所のボランティアを「救い出す」ことにあったのだ。
それだけに前田一尉らは、自分たちが罪に問われて、たったひとりで法廷に引きずり出されるときのことを覚悟しておかなければならなかった。
 そのことを真剣に案じるより、かえって冗談で紛らわしてしまった方が本人たちの
心の負担が軽くなると思ってか、大隊本部の隊員の中には、前田一尉らのチームを別名をつけて、
「おまえら。……チームだから大変だよな」と茶化す者がいた。
(中略)
その別名とは、医療支援ならぬ、「法廷闘争チーム」である。
『兵士に聞け』(2007)P650-651

これを読んで反射的に
佐藤正久は議員辞職せよ: 平成暗黒日記を思い出してしまった。
ヒゲの隊長こと佐藤正久議員の発言には、『兵士に聞け』時代には厳然とあった自衛隊の「日陰者」的感覚は微塵も感じられないが、
これを問題視する以前に、「法廷闘争チーム」の設置を強要するような欺瞞が依然として存在していることを指摘すべきだろう。
一度、内閣法制局自衛隊イラク派兵部隊のメンバーを取り替えてみたらどうかとすら思う。

杉山は陸•海•空の自衛隊員へのインタビューを繰り返していくうちに、生の自衛隊をあぶり出して行く。
結局それは国民も政治家も自衛隊のことなど真剣に考えていないという驚くべき現状だ。
予算優先で新型艦艇をどんどん導入するが、現場では隊員不足が慢性化し練度が低下している姿。
「法廷闘争チーム」。
奥尻島島民の隊員家族への抜きがたいよそ者意識。
結局我々は「自衛隊」という概念について議論しながらも、眼前に存在する自衛隊から目を背け続けてきたのではないか。

ルポとは、元々フランス語で現地報告という意味だという。
自衛隊あるところすなわち現地であるとすれば、なぜ我々には自衛隊のルポが書けないんだろう。

*1:実際に油分が地底からしみ出して温泉と混ざっているとのことであった