今日のNNNドキュメント’05は、休みの度にあいりん地区へ行く炭谷茂環境事務次官の話だった。旧厚生官僚時代に福祉担当だったこともあり、「担当が変わったからといってやめるわけにもいかない」という強い意志で精力的に活動しているという。
具体的どういう活動をしているかについては例えばこういうところ
ttp://blhrri.org/info/koza/koza_0120.htm
などを参照していただければ。
やはり官僚にもこういう人がいるのだなあということで、T君、確かに「官僚の顔が見えない」のはマスコミの責任もあるといえそうだよ。
この事務次官の名前でググルと700件そこそこしか引っかからないので、知名度はそうないみたいだ。(ビッグイシューでは25700件出てくる)
番組自体は駆け足気味であまり深みがなかったが、情報としていいことを教えてもらった。

さて、すっかり世間はニート問題が大危機のようにいわれていて、実際そうなのかもしれないが、正直なんでそこまで気になるか、という気がしないでもない。
というのも、ニートはまさに年金や税金(公的扶助)に関連した社会的文脈の問題だし、逆にそれから離れれば、私にはもうどうでもいいことに映っちゃうんですけどね。労働力の流動化は上の方が望んでいた当のものでもあるわけだし、ゲームやらアニメやら様々な価値観が国富を産む源泉にもなったということに照らしても、やりたいことをやらせるためにニート的状況に若者を押し込んだのは、まさに今対策に躍起になってるおめーらだろ、と言いたい。
もちろん鈴木謙介
カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)
で指摘するように、団塊世代が相対弱者の若年層にツケをまわし、若年層はその状況を甘受する代わりに親に養ってもらうという「たかりあい」の構図もあるだろう。
しかし、なんでかよくわからないのだが、鈴木の議論についても、あるいは他の論者についても、何故か「起業」が選択肢から除外されているのはなぜなんだろうか。ま、この辺りは後日触れる。

で、問題はニートさんたちのその後だ。スキルもなく壮年を迎えた当人たちが将来陥る状況、これはすでに日本あちこちで「ホームレス問題」として起こってますよ、と言わなければならない。
二万人以上の日雇い労働者がいて、福祉関係予算もうなぎ上りに増えてる状況が今大阪にはあるわけだが。
ニートたちよ働こうなんつって泥縄でお金配るより、まず将来ニートたちが不可避的に陥るかもしれない状況についての認識が第一だろ。

失業は恐らく交通事故のようなもので、それ自体なくすことはできようはずもないのだが、交通事故が日常茶飯事のように頻繁に起こって、しかもそれが減るどころか増え続けるであろうとしたら、それは何か交通そのものにおかしな状況が生じつつあるというのは容易に想像がつく。
しかしそれは企業の競争力等々のためにおかしな状況というものもある程度許容されるという環境でおきつつあることだ。
http://www.geocities.jp/takeonestepforward/kikankotop.html
自動車絶望工場に終わりはないと思う。