ほん

現代小説のレッスン (講談社現代新書)
「日本語は『ペラい』」だけが印象に残った

アマゾン・ドット・コムの光と影
ぬるい潜入ルポ。自動車絶望工場と比肩すべくもない。ブックオフとアマゾンが手を組んでるなんて有名な話。ただまあ、アマゾンが日本の老舗書店を駆逐する今まさにその瞬間に立ち会ってるという認識に立てば、意義深い本ではある。丸善とかも経営状態がなんだかシャレにならなくなってきてるし。

AMEBIC
私は金原ひとみの本とやけに親和性が高い。表現は稚拙だと思うし、文学的に見れば確実に消え去ってしまう方に属するのだが、なんだか目が離せない。なぜかといえば、ありきたりな表現ながら、その作品からは作者にとって「書くこと」と「生きること」が重なりあっているような印象を受けるためだ。プロではない、プロとは呼ぶべくもないその「書くこと」のあり方が私の胸を打つ。作者のいうように、これは私小説ではないのだろう。しかし、ある部分でこれは「私」に属する小説なのだ。「非凡なまでの凡庸さ」(斉藤環)によって、「私」を指向するそのあり方において、金原ひとみは、もっと評価されていい。

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))
結局現在日本における「教養」問題(そんなものあればの話だが)とは「教養」という日本語をめぐる言葉遊びの域を出ていない。こんなものを読むならよっぽどドラッカー武田國男の「私の履歴書」でも読んだ方が、教養の本質がわかる。そこにはある階級特有の作法や「文法」が充溢しており、それが教養と言い得るものなのではないか。残念ながら庶民には、教養とはルサンチマンの対象にしかならないものなのだ。