新マック、綿谷りさの凡庸化について

同居人のマックが遂に三度目の死を迎えられたので、全部やり直しの蘇生法は断念して新しいのを買いにいった。秋葉原で何件か物色したが、今月発売されたiMACが売り場を占拠していると思いきや品切れで一月待ちとか、ヨド○シお逝きなさいとむかついていたのだが、どうにか旧型のG5を買ってこうして久しぶりの日記にいそしむのだ。速いし静かだしアヒャってな感じだ。

なぜか今日は普段は考えもしない行動をとった。吉祥寺に行ったのだ。パルコのリブロで、そういえば綿谷様の書き下ろしのついた『インストール』が出ていたなと思い購入。歩きながら同居人とこの薄さで399円(税込み)とは文庫も高くなったものよのうなどと話しつつ武蔵野文庫なる店でカレーとコーヒーものし、綿谷の書き下ろしに取り掛かる。その前に解説。おお、源一郎だ。若さ故の天才性云々に大いに共感するが、だからこそ書き下ろしに一抹の不安を覚える。不安は的中した。大学の友達関係を贈与の戦略を駆使する主人公を軸に描き出す作品と乱暴に要約してみるが、これがつまんない。陳腐な言い方になるが舞台回しの設定にリアリティを感じないのだ。蹴りたいにな川は、高校という半義務教育化された現場の人間関係あるいは政治のなま臭さがいい具合に働いていたが、大学ではだめだと思う。描きたかったものは面白いと思うがそれは文学である必然性を持たない。

その後荻窪に降り立ちささま書店へ。いきたいなあと思いつつどうも行けなかったのだが、普段では考えない中央線沿線の旅に興じたこともあって初見参。百鬼園先生の『先生根性』、『間抜けの実在に関する文献』という驚くべきタイトルの本二冊など計六冊買ってしまう。ヤバい本屋だ。今月は他にも
東京湾が死んだ日―ルポ 京葉臨海コンビナート開発史
ネオリベ現代生活批判序説
などディープな本も買っておりすべて読み終わるか心配だ。