てのばしなん198円

下北サンデーズ“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件オートフィクションプラトンの呪縛 (講談社学術文庫)村上春樹 イエローページ〈1〉 (幻冬舎文庫)メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)日本共産党 (新潮新書)
石田衣良ってのはなんなんだ。なんとなーく底の浅い青春群像ばかりを書いているような気がするが、なかなかどうして気が利いている。
というか都市の定点観測がうまいからこそ、映像としてもいけるんであろう。下北サンデーズも例に漏れず、そういう感じが充分に出ててすらりと読めて楽しかった。
ただなあ、もう買わないと思うなあ。たまたま題材に惹かれて買ったけど、高い金だして読むようなもんでもない。
次、おいおい「狐」の実名が出てるよと思い購入。最近別の狐本を買おうと思っていた矢先なので、渡りに船。
これは本当に本を愛する人のブックマニュアルである。最近読んだ新書の中で抜群におもしろかった。まさに新書たる新書だわ。
この本を読んで、私は「読書」について考えた。食事が有限回であれば読書も有限冊である。
これは最近、またギリシャ古典から政治学の書をさかのぼって読み返そうと思った事と無関係ではない、と思う。
ロサンゼルスBBは普通におもしろかったがLの影が薄すぎてワロタ。BをLとして読めという事なのかな。
しかし、なんかどこまで書けばネタバレで、どこまでがセーフなのかわからんじゃないか!これだけでもアウトか?
なだれ込むようにオートフィクションへ。
これは書評というよりもはやイメージだが、自分を描く作品が、今までの作品のうち一番「自分」と「作品」の距離を感じさせるものに仕上がるとは不思議な事だと思った。
だからこの作品はあまり評価できないし、作者は「私小説」作家からはほど遠いということ。
今までの作品では、なんとなく匂い立つ「私」というのが肥大誇大妄想的な「私」で、その「アタマの中小説」というのがおもしろかったのだが、
だからこそここで等身大に近い「私」のようなものを見せつけられてしまうと、何となくフーンというか、やっぱりそれだと明治の人には勝てないじゃないですか。と思ってしまう。
で、プラトン積ん読処理。で、次の日記を書く段には、遡行の結果岩波文庫やらがずらりと。となるはずだが。
村上春樹イエッペ(これって北海道人特有の表現か?)は電車用で特に感想無し。しかし、「世界の終わりと・・・」は読んでいたつもりなのだが、イエッペよんでも全く記憶に合致しない。
次のも電車用。その次のは、これ、おもしろいか?